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同じ服 いいの?悪いの? ファッション業界の謎

ファッションにはほんとに縁がなく興味もない私なんですが、

それでも服は着なくてはならないし、

着るならばそれ相応のものを選ばないと

それなりに恥ずかしいし、で悩ましいんですが

だからと言ってファッションに詳しい人は悩まないのかというと

むしろそっちのほうが悩むだろうと、

結局誰もがファッションには悩まされるんだという結論に至るわけです。



〇装の罠


特に女性は悩むことが多く、

結婚式など「正装」でお越しくださいの場合は

もうどれを着たらいいのかてんやわんやだし、

パーティで「盛装」なんて言われた日には

もはやパニック状態での一人ファッションショー開催でしょう。

かといって、「平装」でなんて言われたら

それのほうがむしろ難しいだろ!なんて思うのです。


男性も同じですが、それでも最近はほとんどの場合

黒スーツで代用ができるようになってきただけ楽になりました。

せめて一着礼服を持っていれば事足りますものね。


まあとにかく大変大変と皆が悩みますが

かといって主催者側も、フォーマルなのかカジュアルなのか

指定しないと滅茶苦茶な服装で集まってもらっても困ります。

このジレンマはなくなることはないでしょうね。



はやりやまい


そんなことを考えるといつも思うのですが

流行、つまり「はやり」ですが、あれに奇妙さを感じます。

というかむしろ恐怖さえ感じるのです。


よく聞く「今年の夏は○○が流行する」とか

「今年の冬は白が来る!」とか

あれってなんなんでしょうか。

誰が決めてるんですか?


そもそも流行っていうのは、

特定の現象が広く社会に広まる過程にある状態のことを言います。

今現在から未来のことを指しているのです。

つまり、あれってただの「予言」ですよね。

未来予知です。

10年後の未来、その時の最先端はこれだ!!って言ってるのと大差ないです。

未来では車がタイムマシーンになる!っていうようなものです。


まあそれは大げさだとしても、未来のことを言っているのには変わりません。

例えば私が作ったお菓子があるとしましょう。

「このお菓子、今年絶対はやるんですよ!」

って言ったら信じますか?

もちろん誰も信じませんよね。


それなのに、ちょっと有名な人が同じことを言うと

人はコロッと信じてしまう。

そういう状態なんです。

有名なデザイナー、ファッションに詳しいあの人、売れている雑誌、

それぞれが「今年来る!」的なことを言うだけで

それを信じた人が動かされる。

結果「本当に流行になる」という構図です。

特に日本人に多い傾向だと私は思います。

日本人の特徴は「人と同じことをしていないと不安」ですから。

「赤信号、みんなで渡れば 怖くない」とはよく言ったものです。


私は心の中で、これは「はやりやまい」だと思ってます。

熱しやすく冷めやすい日本人にとてもよく当てはまって、

常に最先端にいたい心をよくつかんでます。



流行に乗る?


最先端にいる、とはどういうことでしょうか?

え?流行に乗ること?

いえいえ、違いますよ。間違ってます。


流行に乗ることって

もう古いんですよ?


流行に乗るんじゃなくて、流行を作ることです。

それこそが最先端にいるってことです。


人が作った流行に乗っている時点で古いんです。

まだその流行に乗っている人が少ないときはそれでもいいですが、

いざ人が増えてきたらどうでしょう?

みんな、「えー、もうそれ古いよ!?」の応酬が始まりませんか?

誰がそれを言うのか競争をしてませんか?

その繰り返しなんです。


かといって、最先端にいるのも楽ではないです。

かつて山姥ギャルなどがはやりました。

秋葉原といえばオタクの街でした。

どちらも最初のうちは世間から疎まれ、「なにあれ?」と

好奇な目で見られてさんざんな目にあったと思います。

それでも彼女ら、彼らはそれが好きだったから、

自分を突き通し、結果それが流行となったのです。


最先端でいることは、流行には乗っていない。

つまり世間からはズレているのです。

それでもそれを突き通す勇気。それが流行を作り出すのです。

その勇気が一般人にはないので

結果流行に乗ろうとするだけなのです。

一生懸命、早く乗ろう、少しでも早く乗って、

そして早くその流行を捨てて、次の流行に乗ろう。

それで古い流行に乗っている人に「え、古!」って言ってやろう。

・・・違いますか?


テレビで見る芸人さんなんかにも如実に表れてます。

一発屋芸人とは、まあ失礼にもほどがあると思いますが、

そう呼ばれている人たちの特徴は「一世を風靡した人」です。

一時期流行になるほどはやった人たちですよね。

世間はその人たちを面白いといい、騒ぎ、もてはやしたのです。

しかし次第に「古い」と言い始め、

もはや見ることが「罪」であるかのごとくふるまうのです。

そりゃないよ、と思うのですがどうですか?


同じことがファッションにも言えます。

なぜか未来のことを予言して「この服が来る!」といい、

それを信じてみんな買い、

みんなでそれを楽しんだ挙句、誰かが「古い」と言い始め

その頃から着ることすら「恥ずかしく」なってきて

挙句の果て、それを着ている人に

「それはもう時代遅れだよ!」と注意する始末。

いやいや、何をどう間違えばこうなるんだろう?



流行っている服の謎


そもそも流行っている服が欲しい意味が分からないのです。

あなたは流行の服が欲しいですか?

おそらくほとんどの人が「ほしい」と答えると思います。

いや、欲しいに当り前じゃない。何を言ってるんだ、と。


じゃあ、もう一つ質問です。

あなたは街で同じ服を着ている人を何人も見つけました

その服をまた着ますか?


ほとんどの人は「もう着ない」んじゃないですか?


「これと同じ服を着ている人を街で見かけて~。もう最悪~。

 もうこの服着れないわー」

よく聞きます。


では最後の質問。

流行の服って何ですか?


流行ってるんですよね?

つまりみんなが欲しがって、みんなが持ってるんですよね?

でも、みんなが持っているようなもの、

なんで欲しがるんですか???


みんなとは違うものが欲しいんじゃないんですか?

同じ服を着ている人を一人でも見かけると恥ずかしいはずなのに、

今これがはやり!とか聞くと欲しがるって、

どう考えても矛盾してるんですけど。



ファッションは苦手


そういうことを考えると、とてもじゃないけど

私にはファッションは無理だわ、と思うのです。

一方で流行を気にして、みんなと同じ服を求め

一方でいつ「古い」って言われるのか恐怖を感じながら過ごす。

そのストレスは受け入れられないのです。


そこへいくと、年中同じ服を着ているあの人。

そう、あなたの周りにもいるでしょうあの人です。

なんで同じような服ばかり着ているの?と聞くと

「これが気に入ってるから」と返ってきます。

世間はこういう人を「ダサい」とか言ってバカにしますけど

私はこういう人こそ、自分を突き通していて素敵だと思うのです。

そして、こういう人こそある意味最先端じゃないかと思うのです。

最先端の人の条件は、まさにそういう人なのですから。

だって、そういう人から見れば、もしかしたら

流行に乗ってはコロコロ自分を変えている人は

哀れなのかもしれないのですから。


そんなことをつらつらと思いつつ、

今日も「どんな服を着ていこうかな?」と

小一時間悩んでは出かけるのです。


だって、同じような服とはいえ、

細部は違うから。(それを言ったら終わり)