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トマトは昔のほうがうまかった

私の勝手な言い分ではあるが、トマトは間違いなく昔のほうがうまかった。

子供のころむしゃぶりついた「あのトマト」の味は今でも忘れない。



最近、トマトと一言に言ってもとても種類が多いことに驚かされる。

いや、ここは品種というべきだろうか。

代表格なのは「桃太郎トマト」。

1985年(昭和60年)に発売されたそうで、それまではどんなトマトが主流だったのか調べてみると

「ポンデローザ」と「世界一」、そして「ファーストトマト」という品種が日本では人気だったそうだ。


なぜこれらから桃太郎トマトへと変遷したかというと

それまでの品種は実が柔らかく、長距離輸送などに耐えられず

まだ実が青いうちに収穫していたので当然完熟より味は落ちるわけだ。

しかし桃太郎トマトは実がしっかりするように品種改良されたいわばエリート。

長距離輸送にも耐え、店頭でも日持ちがするため完熟してから出荷できる品種だ。

当然味はさらに良くなり、甘くてピンク色なトマトは日本人になじみのあるものとなったようだ。


ただ一方で「味がない」「昔のトマトらしいトマトがいい」という声も聞かれるようで

最近また「ポンデローザ」や「世界一トマト」が少しずつ脚光を浴びているとか。


こう考えると私が昔のトマトのほうがうまかったと感じるわけは

どうやら昔の品種のほうがよかったということではないだろうか?


昔のトマトは完熟すると「真っ赤」に実り

甘さもあるがどちらかというと酸っぱさが強く、独特の青臭さが強い。

トマト嫌いの人の理由はおそらくこの辺にあると思われる。


しかしまさにこれこれ!

私が求めているトマトの味はこれなのだ。

中のゼリー状の種の部分が大好きだし、あの独特の青臭さがたまらない。

多分トマトが嫌いな人の理由と同じ部分で、私はトマトが好きなのだ。




小学生のころ、クラスの畑がありいろいろな野菜を育てていた。

都会はどうかわからないが、田舎の小学校なら割とよくあることだと思う。

水田で米も作ったりもしたのだ。


その中にトマトがあった。

今となってはそれが何の品種だったのかはわかりようもないが

いよいよ収穫、という時に先生と周りの友達たちにばれないように

こっそりと一つもぎ取り、頬張ったのを覚えている。

いや、まあイケないことなのは分かっているのだが。


この時の衝撃は今でも忘れない。

今まで食べたどのトマトよりもおいしく、豊潤でみずみずしく、後を引くうまさだった。

欲を言えばここにあるすべてのトマトを食べつくしたい、そう思うほど。


もし本当に実行していたらむしろトマトに飽きて

今頃トマト嫌いになっていたかと思うと、やらなくてよかったなとホっとする。

いやその前に先生やクラスのみんなから総スカンを食らって

その後の学校生活にひびが入っていたことを考慮すべきだろうに。


話がずれた。

つまりこういうことだ。

どんな品種のトマトだろうが、どんな野菜だろうが

畑で完熟するまで育てて、もぎたてを食べればそりゃあうまいと思うのだ。

スーパーに並んでいるものはどうしたって鮮度は落ちてくる。

昔みたいに完熟手前で収穫しているかもしれないし、味もまず100%とは言えないだろう。


しかし、なら今でも畑からもぎ取って食べればおいしいのでは?と思い

田舎で作っているトマトをこれでもかと完熟まで熟してもらい、もぎ取って食べてみたところ…

やはり思ったほどの味にはなってなかったのである。




「昔はよかった」

という懐古の情には「思い出を美化する」というとんでもない効果があり

実際は苦しかったり辛かったりしたはずの部分が「美化」され

楽しかった、嬉しかった部分が強調される傾向がある。


これは味にも言えるのかもしれない。

昔食べたもののほうがおいしかったなぁと思うのは

私が勝手に美化しているからではなかろうか?


実際は今とさほど変わらない味だったのに

いや、昔のほうがもっとうまかったはずだ!と

思い込んでいるだけなのだろうか?


これを証明する手段がないのが非常に残念なのだ。

唯一の解決方法はタイムマシーンで、この私が小学生時代に戻り

「あのトマト」を食べてみることだけなのである。


ただ、それでも私はあえて言いたい。

「トマトは昔のほうがうまかった」と。

あのトマトの味は頭の片隅にこびりついて落ちない。

トマトを食べるときは必ずその味と比べてはガッカリするのだ。


いつか「あのトマト」と同じ、いやそれ以上のトマトと出会いたい。

そう思いながら今日も一つトマトを食べる。




ちなみに、「あのトマト」を隠れながら頬張った後、

味を占めてミニトマトのほうにも手を付けた。

しかしどうやらこれが完熟をとうに過ぎて腐っていたらしく

口の中でブジュっとつぶれたその腐った汁が

歯と歯の間にこびりつき

その後何度歯磨きをしようが落ちなかった。


冗談抜きで何か月、いや何年もその味がしたのだ。

これはおいたをした私への天からの罰だったのだろう。

そのせいで割と好きだったトマトがしばらく食べられなくなったことを

ここで付け加えておく。


それでも今でもトマトが好きといえる私は

やはり「あのトマト」の味に魅せられているのかもしれない。