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自動販売機に恐怖を感じた

子供の頃友達と遊んでいたときにこんな会話をしたことがあります。

「いつかお店の人がいなくなるのかな?」

そんな未来を予想すると、楽しみというより恐怖がこみ上げてきました。


昭和 とある田舎

私は長野県の田舎、それもかなり山のほうと言っていい村レベルの町に生まれました。

保育園と小学校が家からとても近く、休日ともなると父と小学校のグラウンドに遊びに行くのが日課でした。

幼馴染の家も数十メートルほどの距離にあり、低学年の頃は一緒に通学したものでした。


そんなとある日曜日、その幼馴染の友達といつものように遊んでいると

「喉乾いたからたばこ屋いこー」

と誘われました。


小学校の近くにあるそのたばこ屋はたばこはもちろん売っていますが、

どちらかというといわゆる駄菓子屋で、地域の子供がお小遣い握りしめて行く場所です。

この日もジュースやら駄菓子やらをいくつか買ったのを覚えています。

好きだったのは酢だ〇さんや蒲〇くん、

それにピンクの小さなグミのような餅が12個くらい入っているお菓子でした。


畑のあぜ道にある大きな岩の上に腰を下ろしながら

赤く染まってくる夕暮れを惜しみつつ語らったのが冒頭です。


自動販売

たばこ屋の店前には立派な自動販売機が二台置いてありました。

当時まだそんなに自動販売機が設置されていない時代で、

あっても見本が5本くらいしかないようなものだったり、

新しいはずなのにみすぼらしく汚れていて見本のプラスチックカバーが割られていたりするのを多く見ました。

そんな中ここの自動販売機はとても新しくて大きく、今見ても遜色ないほどのものでした。


店の中にもジュースは売っていましたがこの自動販売機のほうが種類が多く

しかもよく冷えているので人気、

かと思いきや少なくとも私たちの間ではむしろお店で買うことのほうが多かったのです。


なぜならたばこ屋のおじいさんとの会話が楽しかったからです。


特に長話をするわけではありませんが、

何気ないちょっとした会話がよかったのです。

「これください!」

「はい。100円です」

「ありがとうございます!」

「はい。また来てね」

なのでお店の中でもジュースを買えるのに、なぜ自動販売機を置いているのか謎でした。


ずっと謎でしたがのちに考えてみると

あれはきっと夜間、お店が閉まっている時でもジュースを買うためのものだ、と

理由づけました。


自動化

大きな岩の上で駄菓子を食べつつふと疑問に思ったことを友達にぶつけました。

「自販機ってさー、なんであるんだろうね?」

「さあ・・・」

「確かに便利だけどさ、あれってなんか寂しいよね」

「ああわかる。買ってもありがとうとか言わないしね」

友達も同じ思いでいてくれたことに安堵しつつ、もう少し掘り下げます。

「もしかしたらさ、これから自販機ばかりになってくのかな?」

「そうかもね」

「じゃあさー・・・」

「いつかお店の人がいなくなるのかな?」

疑問をぶつけつつ、これが私の一番恐れていた質問だったのだと自覚しました。

「どうして?」

「だってさ、自販機が増えればお店でジュース買う必要がなくなるじゃん」

「え、でもお菓子があるよ」

「あー、まあね。でもさ、このままどんどん自動化したらさ、

 いつかお店の人もいなくなって、
  買い物してもありがとうってお互いに言わなくなったり、

 これくださいとか言わなくなったりするんじゃない?」

「それはやだなー。さすがにそんな未来は来ないでしょ」

「そうだよねー」

頷きながらも、もし本当にそんな未来が来たら本当に怖いなと思いました。


平成 現在

私の勝手な想像ですが、現在の若い人たち、とりわけ子供たちにこの話をしても

意味が分からないんじゃないかなと思います。

なぜ私が恐怖を感じたのか?

なぜ私が自動販売機の存在意義はお店が閉まっているときに買うためだと思ったのか?

そもそもなぜ私たちは物を買うときに

「これください」そして「ありがとう」を言っていたのかすらわからないんじゃないかと。


現在はコンビニという便利なものがあり、(一応当時もありました)

欲しいものは何でも買えますし、何よりアマ〇ンなどで即手に入る時代です。

コンビニで「これください」、「ありがとう」を言いますか?

少なくとも私は聞いたことがありません。

何よりア〇ゾンなどの通販サイトなら会話すら必要ありません。


いつの間にか私が恐れていた未来がすでに現実になっていたことに恐怖し、

そして何が一番怖いかって、

それを怖いと思わない、そんな当たり前がそこにあることです。