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便利になるって進化してるの?

どの時代でも人々が生活を便利にするために

いろいろと工夫してきた結果、進歩してきました。

しかし、便利になることは本当に

人類にとって進化していると言えるのでしょうか?

私は「行き過ぎた便利」は人類にとって進化とは言えないと思ってます。


ここ100年ほどの人類の進歩というのは特に目まぐるしいものがあります。

中でも大きかったのはやはりコンピュータの進歩でしょう。


コンピュータからスマホ


昭和初期のころはほとんどだれも持っていなかったのに、

今では一人一台は当たり前のように持っているパソコン。

パーソナルコンピュータの略であることすら

現代の若者は知らないのではないでしょうか。

だって、コンピュータはもはやパーソナルであることが当たり前なのですから。


むしろパソコンですらちょっと時代遅れともいえそうです。

今やパソコンと同じくらい高性能なスマホなどが普及して

それこそ一人一台は当たり前の時代になりました。


確かにスマホは便利です。

もともとの機能が素晴らしいうえ、アプリを入れれば

ほとんどどんなことでもこなせるほどの便利アイテム。

今や電話として主に使っている人がどれほどいるのでしょうか。

メールですら最近は使わなくなってきていることでしょう。


便利の弊害


しかしそうやって便利になってきたことが

全てプラスになっているかというと、必ずしもそうではないようです。


身近なところでいうと「歩きスマホ

歩きながらスマホを操作する人が多く、

不意にぶつかってしまったり、時には重大な事故に巻き込まれることもあります。


また、かつてでは考えられないほどみんながスマホに夢中になってます。

街に出ると、ほとんどの人がスマホなどをいじっています。

ゲームをしているのでしょうか、文字で会話しているのでしょうか。

立っていても座っていても、皆が下を向いて操作しています。


一昔前はもちろんそんなものがなかったわけですから、

そんな人はいませんでした。

たまに子供が携帯ゲームを外でやっていて、

それすら親や周りの大人が注意したものです。

「外でそんなことしてないで、友達と遊びなさい」って。

じゃあ家でやればいいの?」とか口答えしては

さらに火に油を注いで怒られたんじゃないでしょうか。


あの頃を知っている私から見ると、

今のこの光景は異常です。


どこへ行っても人々は下を向いてスマホを操作。

待ち合わせをしても、電車に乗っても、食事してても、

家にいても、学校にいても、職場にいても

そんなのが当たり前になってきている、

それが怖いのです。


何を言ってんだ?と若い皆さんは思われるでしょう。

でも、じゃあ「人間らしい生活って何でしょう?」って聞かれたら

なんて答えますか?


人間らしさ


人間らしさとは何ぞ?

私はこういうことを考えるのが結構好きです。

いろいろ考えた結果、

機械でないのが、人間なのだ。

という結論に至りました。


当たり前じゃん。何をいまさら。

って思われたと思います。

そう。当たり前なんです。


機械じゃないのが人間。そりゃそうです。

機械だったらロボットですよね。

そう、機械だったら。


この辺で私が何を言いたいのが、おそらくわかってきたと思います。

お店で買い物するときに、

「これくださいな」

「はい。350円です」

「じゃあ1000円でお願いします」

「はい、650円のお釣りです」

「ありがとうございます」

「毎度ありー」

こういうやり取りをするのが人間です。


「・・・(商品を置く)」

「ピッピッ」

「・・・」

「お弁当温めますか」

「いいです」

「お箸は何膳・・」

「・・・(ピース)」

「二膳で。はい」

「・・・」

「1650円です」

「・・・(5000円を出す)」

「大きいほう3000円と、350円のお釣りです」

「・・・」

「ありがとうございましたー」

これって、はたして人間って言えるのでしょうか。


はたまた家で、

「・・・・(無言でクリック)」

「ピッ」

「(届くのは明後日か。明日じゃないのかよ)」

こうやって買い物ができる時代です。

便利ですよね。


便利さの先へ


私は普通の人間が頑張ればできること

もっと簡単にできるようにすることが

正しい進歩だと思います。


例えば、簡単に火を起こせるライターやマッチ。

この発明は素晴らしいです。

普通の人間も頑張れば火を起こせますが、

いちいち時間をかけてやるのは面倒。

そこでライターの登場です。

これってすごいですよね。


じゃあ自転車は?

あれもすごいですよね。

遠くまで歩くのは大変だし、時間もかかる。

でも自転車ならもっとスピードも出るし、歩きほど疲れないで遠くまで行けます。


それなら自動車はどうでしょうか。

もっともっと速いですし、もっともっと簡単に遠くまで行けます。

しかし、あなたは自動車を作れますか?


私は自転車すら作れませんが、それでもあれは人力で動かせます。

自動車は人力ですらありません。

燃料だってガソリンを使います。

よくわからないけど、キーをさしてエンジンをかけ、

「アクセル」ってやつを踏めばなんか動くんだよ。

ぐんぐんスピードが出て、止まるときは「ブレーキ」ってやつを踏めばいいみたい。


本来そこまで便利になってはいけないと思うのです。

それはもはや、人間のスペックを超えていると思うのです。

人間がコントロールできる範囲で、便利さを追求しなければならないと思うのです。


自動車


昔はそれでも自動車の運転は難しいものでした。

オートマなんてものはなくマニュアルが当たり前で、

そのための教習所でもあったわけです。

なんとか人間が頑張ってコントロールしようとしていて、

コントロールができない人は、免許が取れなかった。

つまり運転が許されなかったのです。


最近はオートマが当たり前になり、

例え子供でも簡単に運転できるほどになりました。

便利になったのです。

でも・・・

そこまでいってはダメだと思うのです。


無免許運転が問題になったり、

子供に運転させた動画が問題になったり、

お年寄りが操作を間違えてお店に突っ込んだり、

いろいろ起こってますよね。


特にお年寄りの操作間違えは頻繁に起こっているみたいで、

その対策として最近は「自動ブレーキ」だったり

周囲を見渡せるカメラがついていたりと、便利になりました。

しかしそれは間違った対策だと思うのです。


便利さへのブレーキ


もちろん素晴らしい対策ですよ?念のため。

ただ、根本が違うのではないかということです。


車は本来、簡単に運転できるようではだめだと思います。

オートマは便利ですが、そこを便利にしてはダメなんですよ。

マニュアルでしっかりと練習し、試験に受かってようやく免許をもらう。

それがギリギリOKのラインだと思います。


便利で簡単になりすぎて、問題が起こってきたから

その対策で、危なくないようにさらに機械に安全を任せる。

これってどうなんでしょうか。


自動車は便利なんです。でも危ないんです。

多少不便でも、運転方法は面倒くさいものでないとだめでしょう。

人間がコントロールできる範囲で、扱わないとだめでしょう。


一般人が飛行機を簡単に運転出来たらどうですか?

飛行機じゃなくて、戦闘機や戦車だったら?


危ないものほど、一般人が容易に扱えないようにしていないと

いけないってことは、本来当たり前のことですよね。


考えさせられたコラム


10年ほど前になるでしょうか。

とある新聞に載っていたコラムに興味深いものがありました。

投稿者は70代の男性。

「最近の車の運転への考え方は昔と変わっている。

 昔は車は動かすものだった。」

と始まります。


車は動かすもの。そりゃそうだ。当たり前。

今の若い人もそう思っていただけると思います。

しかし続きを読むと、何を言いたかったかわかると思います。


「しかし今は車は止めるもの、という気がしてならない。」

と続きます。

車は止めるもの。これは興味深い。どういうことだろう。


「昔は運転が難しく、操作を間違えるとすぐにエンジンは止まってしまう。

 車は止まっているのが当たり前で、

 人はなんとか動かそうとするのが、当たり前だった。

 でも今はどうだろう。

 ギアは簡単に入るし、ブレーキを踏んでいないと車は勝手に動く始末。

 車は動くもので、人は何とか止めようとする。

 そういう意識に変わってきていると思う。」

そういう投稿でした。


もうだいぶ前に読んだものなのに、強烈に覚えています。

もちろん細部は違うかもしれませんが、こういう内容でした。

これってものすごく考えさせられることで、

ものすごく興味深いことです。


人間の真価(進化)


人間として進化するってことは、

機械が進化することではない

ということを肝に銘じるべきではないでしょうか。


もちろん機械を進化させるのは人間だし、

その恩恵にあずかるのも人間です。

しかしそれに胡坐をかいて、

全てを機械任せにしている今の時代、

人間はむしろ退化していませんか?


手紙を書いていたころは、漢字なんか普通にかけました。

黒電話でダイヤルを回して電話をかけていたころは、

友達の家の電話番号くらい覚えていました。

一度行った場所なら、地図がなくても何とか行けたし、

道に迷ったり、困ったことがあったら、

その辺にいる人に聞いたり助けてもらったものでした。


今はどうでしょう。

退化してませんか?


便利さを追求することは大事です。

けれども行き過ぎた便利さは

むしろ人間にとって良くないのではないかと

私はこれからも警鐘を鳴らしていきたいと思ってます。